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真田ナオキの生い立ちが壮絶!異色の経歴は?離婚や子供については?

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爽やかなルックスに、ド迫力のハスキーボイスのギャップが人気の、

若手演歌歌手真田ナオキさん。

今後の演歌界を担う存在として注目を集めています。

吉幾三さんが師匠だということでご一緒にテレビ出演などもされていました。

今回は、真田ナオキさんの生い立ち経歴などについてまとめてみたいと思います。

また、離婚歴があるということで、若くして5人子供がいらっしゃるとのことです。

そのことについても、深掘りしていってみようと思います。

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真田ナオキについて

https://www.naokisanada.com/

真田ナオキのプロフィールは?

真田 ナオキ(さなだ なおき)

生年月日:1989年12月22日

出身地:埼玉県さいたま市

血液型:O型

趣味:野球、競走馬観覧

真田ナオキさんは、体を動かすことが大好きで小学1年生から中学生まで野球をしていました。

靭帯を痛めてしまい中学生の途中で野球を諦めた後は、ゴルフやボクシングなどをしていたそうです。

建築業に就いた後、19歳の時に家族から歌手への道を強く勧められたが、

頑なに拒み続けていたそう。

ところが、2011年の東日本大震災の際、歌手による被災地訪問に心を動かされ、

歌の力を実感し、とにかく人に聴いてもらえる声を作りたい。と歌手への道を決断しました。

知人の紹介で出会ったという吉幾三さんを前にして歌うという千載一遇のチャンスをつかみました。

テン
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真田ナオキの壮絶な生い立ち・経歴とは?

野球選手への夢を絶たれた中学時代

小学5年生ぐらいの時に野球の楽しさに目覚めたそうで、家族の献身的な支えもあり、世界大会に出場するほどの実力をつけていきました。

プロ野球選手になることを夢見ていた矢先の小学校6年生の時、大会で靭帯を痛めてしまい、

夢を絶たれることとなってしまい、自暴自棄になり中学校にもほとんど行かなくなってしまいました。

リーゼントにし、喧嘩に明け暮れていたり単車を走らせたりなどしていたそうです。

1人だけ喧嘩で勝てない相手がいて、その相手がやりたくないということで

真田ナオキさんが暴走族の総長をやるということになったそう。

❝まっすぐな不良でいよう❞と誓い合ったことで、警察や病院の厄介になるようなことはなかったそうです。

硬派寄りな暴走族だったんですね。

暴走族から足を洗うきっかけは、甥っ子(姉の子供)ができ、❝ちゃんとした叔父ちゃんになりたい❞と

心の底から思ったんだそうです。

この頃に、ご結婚することになる奥様と交際を開始。19歳ぐらいの時でした。

2011年に結婚・歌手を志す

真田ナオキさんは2011年に、交際していた中学時代の後輩とご結婚されました。22歳ぐらいの時ということですね。

結婚された年は東日本大震災があった年ではありますが、ご結婚当時は歌手をやろうと思っていなかったとお話されています。

奥様の妊娠で一念発起し、営業の仕事に打ち込みました。

長女が生まれる前に結婚し、その後次女長男を授かったそうです。

東日本大震災が起きた際、テレビで臼澤みさきさんが子供たちと歌う姿を見て、

自分も誰かの励みになったり勇気を与える存在になりたい、と思い歌手を志しました。

テン
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歌手になると決めてから、実家のカラオケ店で勤めながら1日に6時間以上も大声で歌い続けるなどの訓練を積み重ね

ツテをたどって作曲家の宮下健二さんにレッスンしてもらい、仕事の合間に指導を受けたのち、

知り合いが吉幾三さんと食事をすることになりこちらに同席。

その場で吉幾三さんに歌を聴いてもらったことで

吉幾三さんの弟子になることに決まり、曲を書いてもらえるようになったそうです。

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2015年に離婚

仕事によるすれ違いが積み重なり、奥様とは2015年に離婚したとのことです。

真田ナオキさんはデビュー前で多忙な日々を送り、奥様は3人の子供の育児や家事に追われていたかと推測されますので、お互い精神的にも余裕がなかったことと思われます。

デビュー前は、声に特徴を出すために無理やり喉をつぶしたそうです。

唐辛子をおやつ代わりに食べ、体質的にアルコールが飲めない身体にもかかわらず日本酒でうがいをしたりなどして、誰もが印象に残る独特な、現在のハスキーボイスを作り上げたそう。

歌の先生に怒られても続けていたそう。真田さんは頑固なんだそうです。

現在の印象的なハスキーボイスの原点がここにあったんですね!

深みのある低音で、聴く人の心に深く響きますね。

演歌特有の哀愁や情感をより一層引き立て、どこか色気を感じさせるトーンも魅力的だと思います。

それにしてもストイックというか、かなり身体を張っていますね。

ハスキーボイスは、過酷な訓練の賜物だったんですね!

2016年にデビュー

デビューが決まったのは離婚の翌年。26歳の時でした。

吉幾三さんが手掛けた「れい子」で❛大型新人❜としてデビューしましたが、演歌の無名の新人になかなか仕事はなかったそうで、

飛び込みでスナックやカラオケ喫茶を回って自ら一枚一枚CDを手売りする日々が続いたそうです。

引用:Amazon

そんな中で、「誰が作った曲なの?」と聞かれ「吉幾三さんです」と答えると、

じゃあ聞いてみようかな、と手に取ってくれることが、師匠である吉幾三さんの存在がありがたいと感じたとのことです。

何度も足を運ぶうちにお店の方から「また来てね」と言われるようになり、少しずつ名前が知られていくようになったそうです。

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離婚後に元妻との間に子供を授かる

デビュー後も元妻との関係は数年続き、2017年に次男、2018年に三女を授かったそうです。

現在は離れて暮らし、養育費を支払っているそう。

普段はテレビ電話をしており、野球が好きな男の子とは野球観戦に行ったり、

女の子とは洋服選びに付き合ったりしているそうです。

元妻に対しては、今も尊敬し感謝しているとのこと。

子供の父、子供の母としてお互いに支えあいながら、子供たちにまっすぐに向き合いたい

お話されていました。

5人のお子様のために、夫婦という形でなくても支えあいながら生活されているんですね。

離婚しても自分を悪く言わない元妻のおかげで、子供たちからは

「自慢の父」と思ってもらえていることにも感謝しているそう。

離婚のことや子供の存在については2023年に公表されたそうですが、演歌の世界で名前が知られるようになるにつれ、

いつかは言わなければならないという気持ちが大きくなっていたからだそうです。

公表したことで、❝まっすぐ勝負できる❞という気持ちになったとお話されていました。

今後の活動にとって大切なことだからこそ、公表されたんですね。

仕事の合間にお子さんたちと遊んだり交流を続け、元妻とも良好な関係性を築けているのだと思います。

子供は敏感でもあり、夫婦間の関係性が子供に与える影響も大きいかと思いますので、

夫婦という形でなくても、お父さん・お母さんが笑顔でいてくれたら子供にとっては良いことですよね。

そんなディープなことを、公表すると決心した真田ナオキさんの男気にも拍手です。

一気に注目される存在に

  • 2020年1月 メジャー第一弾シングル「恵比寿」リリース。自身初のオリコン週間シングル演歌歌謡ランキング1位を獲得。
引用:Amazon
  • 2020年10月 「恵比寿・殿(しんがり)盤」リリース。オリコン週間シングル演歌歌謡ランキング1位を再び獲得し、一気に注目される存在になりました。
  • 2020年12月 「第62回日本レコード大賞」に初出演し、「恵比寿」で最優秀新人賞を受賞。
  • 2021年3月 第36回 日本ゴールドディスク大賞 ベスト・演歌

力強い歌声とクールで爽やかな見た目でありながらも、優しく謙虚で涙もろい性格の持ち主で、

日本レコード大賞で受賞した際には、記念の盾を大事そうに抱えながら目に涙を浮かべており、

優しい真田ナオキさんの性格がうかがえます。

これまでの過酷な訓練や努力が、実を結んだという実感と嬉しさがこみあげてきたんでしょうね。

そういった過去を知っていたなら、こちらまでもらい泣きしてしまいそうです。

元々、吉幾三さんの「酔歌」を聴いて演歌に興味を持ち、師匠・吉幾三さんを目標とされているようです。

人柄にも惚れ込んでおり、目標は「自分のカラーが入った吉幾三」なんだそうです。

師匠に追いつくため、作詞・作曲も勉強しているそう。

親子のような絆の固さが感じられますね。

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まとめ

演歌歌手真田ナオキさんについてでした。

異色で壮絶な経歴をお持ちですが、離婚されても良きパパとして活躍されていることが分かりました。

活躍しているパパの姿を見て、5人のお子様たちも笑顔でいてくれたら嬉しいですね。

独特なハスキーボイスについては、デビュー前に無理やり喉を潰すなどをしていたとのことですが

深みのある低音や、男性的な声質が過去の努力の賜物だと分かり、なんだか感慨深いものがあります。

師匠である吉幾三さんとも固い絆を感じさせるものがあり、こちらもファンの間では話題となっています。

今後の活躍も楽しみですね。

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