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長嶋一茂の教育係ダグ・デシンセイとはどんな人?その後は?【鶴瓶孝太郎】

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スポーツ選手
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プロ野球の名門・読売ジャイアンツで活躍した長嶋一茂さん

実は現役時代(ヤクルトスワローズ在籍時)、一茂さんの成長をそばで支えた「教育係」の存在がありました。

その人物こそ、元メジャーリーガーのダグ・デシンセイです。

日本ではあまり知られていませんが、アメリカでは一流プレーヤーとして名を馳せた実力者。

今回は、長嶋一茂さんの教育係を務めたダグ・デシンセイとはどんな人物なのか、

そしてその後の足跡についてご紹介していきます!

「一茂の教育係」として知られるダグ・デシンセイ。

その名を聞いただけでは想像できない、

日米を股にかけた野球人生や、知られざるエピソードが待っています。

その足跡をたどりながら、驚きと発見の連続を体験してみましょう!

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ダグ・デシンセイとはどんな人?

引用:週刊ベースボールオンライン

※プロフィール写真は現役当時の若い頃のものです。最近の姿ではありません。

後ほど最近の姿の写真もご紹介しますが、この当時もイケメンですね!(しかも高身長!)

年齢や国籍の基本プロフィールは?

ダグ・デシンセイ(Doug DeCinces)

元プロ野球選手(内野手)

国籍:アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡バーバンク

出身校:カリフォルニア大学ロサンゼルス大学

生年月日:1950年8月29日

身長:188㎝

ポジション:三塁手

ダグ・デシンセイはアメリカ出身の元プロ野球選手で、ポジションは三塁手。

右打ちで、攻守にバランスの取れたプレーが特徴です。

全盛期には、三塁線の魔術師と称されたほどの守備!

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経歴と実績

  • 1970年のMLBドラフトでボルチモア・オリオールズから3巡目指名を受けプロ入り。
  • 1973年9月9日の対クリーブランド・インディアンス戦の7回表にブルックス・ロビンソンの代走として出場しメジャーデビューを果たす。
  • 1982年にカリフォルニア・エンゼルスにトレードで移籍。在籍時にシルバースラッガー章を受賞
  • ミネソタ・ツインズ戦では1回裏の打席で2球目を本塁打、3回裏と5回裏にはいずれも初球を本塁打し、3球連続本塁打を記録。
  • 1983年MLBオールスターゲームに選出。
  • 1988年1月20日にヤクルトスワローズに入団を発表。NPB初打席初本塁打、東京ドームの公式戦第1号や、史上5人目の2試合連続サヨナラ本塁打を放つ。

ヤクルト入団時、「自分にとって最後の野球人生」と語っていて、同年限りで現役を引退しました。

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東京ドーム第1号ホームランのエピソード!

1988年春に、日本発の屋根付き球場・東京ドームが開場。

4月8日の開幕戦で記念すべき公式戦第1号アーチを放ったのが、ダグ・デシンセイでした。

来日時すでに37歳の大ベテランであり、現役大リーガーでもありましたが、

巨人・桑田真澄さんから来日初打席初本塁打を放ったということで、

観客は沈黙…。❝海外枠❞としては冷たい反応でした。

翌日にもう一本ホームランを放つも歓声や祝福がなく、スタジアムは冷たい雰囲気に包まれたそうです。

これは、日本のファンが「ガイジン」である外国人選手に対して警戒心を抱いていた文化背景とも関係があるようです。

その後も打撃面では安定した成績を残し、継続した結果を見せたことで、

ファンやチームへの印象は少なからず向上したと推測されます。

少しづつ地元ファンの心にはデシンセイの存在が刻まれていったようですね!

当初の❝冷遇❞から、少しづつ印象を変えていったのだと思われますが、

デシンセイの苦悩や葛藤もあったのだと思います。

次第に日本のファンからも信頼と人気を得ていきましたが、

アメリカと日本、両国の舞台で勝負し続けたデシンセイの野球人生は、

まさに「日米を股にかけたキャリア」の象徴と言えるのかもしれませんね!

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長嶋一茂の教育係!

1988年は長嶋一茂さんもヤクルト・スワローズに入団し、

ダグ・デシンセイは、長嶋一茂さんが三塁手として成長するための指導役を任されました。

父・長嶋茂雄さんとデシンセイは知り合いだったため、

「あの人の息子か、どういうプレーをするのかな」など思いを馳せていたそうです。

練習中の細かいフォローを通して、一茂さんの技術向上を支えたと言われています。

「彼(一茂)にとって一番やっかいな問題は、マスコミに対して余計な神経を使わなくてはならないということ。もっとリラックスさせてやることが必要だ」と語り、

長嶋茂雄さんの息子という立場であり注目が集まっていた、一茂さんへの気遣いが感じられます。

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ダグ・デシンセイのその後は?

現役引退後のデシンセイは、代理人や実業家として活動していた時期もあります。

1993年にはレオン・リーと共に映画「ミスター・ベースボール」のテクニカルアドバイザーを務めます。

ダグ・デシンセイご本人である可能性が高いinstagramアカウントがありました。

Instagram

現役時代もイケメンですが、素敵な年齢の重ね方をされていて

現在も元気で素敵な姿を見ることができます。

2025年3月には、ボルチモアの地元サイトで過去の活躍を振り返るインタビューに登場しましたが、

それ以外の状況は不明となっています。

本人アカウントだと思われるinstagramには、元MLB選手と明記されており、

現役時代に所属したオリオールズやエンゼルスをタグ付けされています。

ご自身のキャリアを誇りに思っていることが伝わります!

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ダグ・デシンセイの人柄は?

instagramから読み取れるダグ・デシンセイの性格は、

現役時代の写真やカードをアップしていることから、野球人生を大切にしていることがうかがえます。

家族や仲間との写真も多くあることから、人付き合いを大事にするタイプにも見えます。

慕っていた仲間や後輩のためにイベントの活動をしていることから、

温かい人柄だということもうかがえますね。

フォロワーが約300人と多くはないことから、

インフルエンサー的な発信ではなく、身近な人やファンとの交流のためのアカウントだと思われます。

更新もマメにしている方ではないので、節目や特別な場面を大切に発信しているのではないでしょうか?

現在は穏やかに仲間や家族との時間を楽しんでいるんでしょうね(^^)

飾り気のない笑顔やリラックスした雰囲気からは、周囲の人に安心感を与えるような温かさがにじみ出ています。

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まとめ

メジャーリーグと日本球界の両方で輝きを放ったダグ・デシンセイ

長嶋一茂さんの教育係を務めるなど人間味あふれる姿勢は、

成績以上に多くの人の記憶に残っています。

パワーと実直さを兼ねそろえたデシンセイの歩みは、

まさに「日米を股にかけた野球人生」の象徴と言えるでしょう。

そんなデシンセイが「鶴瓶孝太郎」に出演することで、当時を知る人も知らない世代も、

改めて日米を股にかけた野球人生の魅力に触れられるのではないでしょうか?

何が語られるのか、現在の姿にも注目ですね!

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