俳優として、ドラマや映画で渋くて頼れる役柄を演じ、大河ドラマや刑事ドラマにも多数出演されており、
バラエティ番組でも優しく穏やかなキャラクターが人気の宇梶剛士さん。
ワイルドさと温かさを兼ねそろえた人柄が魅力な男性ですよね。
身長も188㎝と高く、スタイルが良いですね。
高校時代は野球部に所属し、将来の有望選手としてプロ球団のスカウトが宇梶剛士さんのもとへ足を運びに来たほどの実力だったそうです。
そんなエピソードから一転、暴走族に加わり総長を務めたというエピソードも有名ですね。
大柄だから、凄く強そうです(^^)
その後改心し、俳優を目指すこととなった宇梶剛士さんの、芸能界入りのきっかけや生い立ちについて記事を書いていこうと思います。
宇梶剛士の生い立ちは?

野球に憧れを持つように
物心ついた時に暮らしていたのは東京都小平市。
建設会社で働く一級建築士の父と、アイヌの血を引く母、2つ上の姉との4人で暮らしていました。
生まれた時から身体が大きく、身長57㎝、体重5000gもあったそうです。
運動が好きな活発な子供だったそう。
父親の仕事の関係で広島県安芸市に、幼稚園の年長の時に引っ越し。
ここで、初めて父に連れて行ってもらいプロ野球を見ることになります。
「いつかプロになって、大きな球場でプレイしてみたい」と夢を描くようになりました。
家庭内でのギクシャク
小学2年生の時に東京に戻り、地元のリトルリーグに入り野球三昧の日々を送ります。
しかしこの頃から家庭内がギクシャクしていきました。
父は仕事が忙しくほとんど家に帰らず、母はアイヌをはじめとするマイノリティの人々の権利獲得活動に熱心になっていたため家を空けることが多く、
母が「なんとかしてあげたい」という一心で連れてくる、差別などを受け困窮している他人と暮らすこともあったそうです。
母に伝えても「困っている人を助けるのは当たり前のこと」と取り合ってくれず、
先輩や同級生からはからかわれ、そこで心の糸がプツンときれてしまいました。
一番親に構ってもらいたい時期に家庭がこのようになってしまい、心の行き場がなくなってしまったんですね。
唯一の拠り所が、大好きな野球だったんでしょうね。
野球強豪校で大人を信じられなくなる
家を飛び出し、一時的に北海道に移住。
親には頼らず、野球を続けながら新聞配達や八百屋のアルバイトで生計を立てていました。
高校は野球の強豪校に入学しましたが、先輩からの理不尽なシゴキがあったそう。
監督に実態を知ってもらうために仲間と話し合い練習をボイコットしたところ、
実態を調査するどころか、先輩側の嘘を鵜呑みにされてしまいました。
騒動の首謀者だと濡れ衣を着せられ、練習への参加を許されなくなってしまいます。
生活の一部であった野球ができなくなったことは、宇梶剛士さんにとっては絶望的なことでした。
先輩たち、大人たちに失望してしまう出来事ですね。
しかもそれにより野球ができなくなってしまうなんて。
良かれと思って起こした行動がこのようになってしまっては、投げやりにもなってしまいそうです。
才能があるのに、どうしてこんなことに・・
知れば知るほどかわいそうに思えてきてしまいます。
投げやりになって暴走族に
中学時代の仲間がトラブルを抱えており、そのトラブルの相手を暴力で押さえつけてしまいました。
事情聴取を経て少年鑑別所に入ることとなってしまいます。
夢も目標も失って抗う術が無かった宇梶さんは、出所後に高校を退学し、
流されるように暴走族に入り、特攻隊長を経て、17歳で総長になりました。
ある時の事件がきっかけで少年院に入ることになり、農作業や大工仕事で汗を流し、日誌を書いて自分を見つめなおす日々が続きました。
そんな中で母親が差し入れてくれたチャーリー・チャップリンの自伝によって、
困窮の中でも夢を諦めず、人々に笑いを届けるチャップリンの生き様に憧れを持つようになりました。
「自分は野球でそういうふうになりたかったけどダメだった、グレて吠えまくっていたけど、チャップリンはそういう時でもグッとこらえて俳優の修行をしていた。自分が恥ずかしい生き方をしてきたなと思った」
と後々語られております。
そして、父親に「俳優になりたい」と伝えると、母親の知り合いを通じて錦野旦が所属していた音楽事務所を訪ねました。
まさしく、チャップリンの自伝を読んだことが一番初めの転機だったのかもしれませんね!
これまでの経緯を知った上でこちらの本を差し入れたお母さんも、さすが母親だと感じます。
宇梶剛士の芸能界きっかけは付き人?
少年院を出た後、明治大学付属中野高校定時制に通うかたわら、錦野旦(にしきのあきら)さんの付き人となり、芸能界の行儀を習うこととなります。
錦野旦さんの付き人に
そして、付き人として錦野旦さんの「カバン持ち」からスタートしたそうです。
お辞儀の仕方についてアドバイスをされ、楽屋でお辞儀の練習も一緒にされていたとのこと。
こちらでの出会いが、全ての始まりだったのだと思います。
錦野旦さんのもとで礼儀などを心得て、その後の出会いが宇梶剛士さんの運命を大きく変えていくことが分かります。
宇梶さんのご両親の人脈も凄かったということですね。
菅原文太さんとの出会い
錦野旦さんの事務所の御使いでとある現場に行った際、偶然に会ったのが菅原文太さんでした。
「お前、歌い手か?」と聞かれ、
「俳優になりたいんですが、なり方が分からないので錦野さんのところで見習いをしています」
と答えたそうですが、
菅原文太さんは錦野旦さんの事務所に電話し承諾を得たうえで、宇梶剛士さんは菅原文太さんの弟子になり役者修行を積むことになりました。
その場で菅原文太さんに気に入られたということですね。
存在感やオーラなどを感じ取ったのでしょうか?凄い先見の明です。
宇梶さんは、菅原文太さんを父のような存在だということで「オヤジ」と呼んでおられました。
2年ほど菅原文太さんのもとにおられたそうですが、美輪明宏さんの舞台に魅了され
事務所を辞めたいと申し出た際は、「離れて行ってもお前は弟子だからな」と快く送り出してくれたそうです。
面と向かって叱ってくれた人との出会い
その後、縁があってお会いしたという美輪明宏さん、渡辺えりさんは、
宇梶剛士さんに対し面と向かって叱ってくれ、容姿や経歴ではなく、育ち切っていない心を見てくれたとのことです。
もちろん、錦野旦さん、菅原文太さんもそうだったとお話されておりますが、
俳優になると決意したもののなかなか芽が出ずに苦労が続いていた中、支えてくれたという恩人が
こちらの4人なんだそうです。
宇梶さんはギラギラしていて高身長で過去の経歴もバッチリなので(笑)、大人でも怖気づいてしまいそうな風貌だったのかもしれませんが、
宇梶さんの内面をしっかり見ていてくださったんですね。
当時10代ではあったので、心も経験も考え方も子どもであったであろう時期ですが、
面と向かってちゃんと叱ってくれる大人がいることって、愛を感じますよね。
今でも宇梶剛士さんは、若かりし頃に立場や権利を利用して全否定してきた大人に対する悔しさをバネに、
「あの大人たちと同じになってたまるか」という心構えを持たれているそうです。
長い下積み時代を経て、1980年代後半、テレビドラマを中心にブレイクしました。
過去には戻りたくない、あんな辛い心の闇を抱えたくないという気持ちで、必死に俳優という職業にしがみついていたと語られております。
逃げる先=俳優に続く道 なんだそうで、逃げる方向と進みたいと思う方向が同じだということです。
その気持ちがあったからこそ、踏ん張って続けてこられたんですね。
まとめ
宇梶剛士さんの芸能界きっかけや生い立ちについてご紹介しました。
野球三昧だった日々から一転、暴走族に所属し、少年院での生活を経験されてきました。
チャップリンの自伝を呼んだことから芸能界に入りたいと夢を抱き、
錦野旦さんの付き人から始まり菅原文太さん、美輪明宏さん、渡辺えりさんとの出会いを経て、
長い下積み時代を経てブレイクを果たしました。
幼い時に感じた大人への想いや反発、野球の才能、暴走族の総長として大勢の人間を束ねる統率力や強さなど、魅力的な主軸をお持ちの宇梶剛士さんだからこそ、
人間的な深み、圧倒的な存在感、ワイルドさと穏やかさのギャップなど様々な魅力があるのではないでしょうか(^^)
壮絶な過去や苦労を乗り越えてきたからこその深みがありますよね。
どんな作品でも強い印象を残す、素敵な俳優さんですね。
今後のご活躍も楽しみですね。
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