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田川啓二の母や父、兄はどんな人?出身大学や経歴についても調査!

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テレビ番組
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日本を代表するビーズ刺繍作家であり、ファッションデザイナーの田川啓二さん。

黒柳徹子さんの衣装を手掛けることでも知られ、その華やかな作品は多くの人々を魅了しています。

黒柳徹子さんといえば、ファンキーでキュートで、

登場するたびにいつも素敵な衣装を纏っていて、しかも衣装に負けない圧倒的存在感がスゴイ方ですね(^^)

一方、田川啓二さんはビーズ刺繍界のカリスマとも言われていて、

ドレス、着物、絵画、小物やインテリア、ジュエリーなどなど、

多岐に渡る分野でデザインを手掛けている方です。

この度、テレビ番組『プラチナファミリー』に出演。

軽井沢の別荘での優雅な暮らしや創作の原点について語られるとあって大きな注目を集めています。

この放送をきっかけに、

改めて田川さんの人物像に迫りたいと考える方も多いのではないでしょうか?

今回は、その素晴らしい才能を育んだご家族母、父、兄)はどのような方なのか、

また、田川啓二さんの出身大学やこれまでの輝かしい経歴について、詳しく調査しました!

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田川啓二さんとは?

https://bwu.bunka.ac.jp/professor/keiji-tagawa/

素敵な方ですね!

ワイルドかつダンディで彫りの深いイケメンではないですか?

ビーズ刺繍という響きからしても、色白で王子っぽい方を想像してしまいそうですが..

田川さんの創り出す作品の緻密さや繊細さとは対照的に、男前!といった雰囲気ですね!

サーファーとかサッカー選手と言われても違和感なさそうです。(笑)

黒柳徹子さんとは、2002年の「徹子の部屋」がきっかけで意気投合したそうです!

趣味やセンス、価値観などが不思議なほどに合ったそうですよ!

そこから現在に至るまでの仲だなんて、まさしく運命的な出会いだったんですね(^^)

ビーズ界の貴公子ともいわれている田川さんの作品は、バッグなどの小物から絵画まで、繊細かつ立体感あふれる華やかなビーズ刺繍を施し、日本のみならず世界中で人気!田川さんがデザインする、全てビーズ刺繍で作られた煌びやかなオートクチュールのドレスは、芸能界にも多くのファンがいます!

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wikiプロフィール

田川 啓二(たがわ けいじ)

生年月日:1959年

出身地:東京都港区

家族構成:父、母、兄、本人

趣味:ガーデニング、料理、着物やブリキ製玩具のコレクション

2人兄弟の次男として生まれました。

曾祖父、祖父、父は繊維業界で仕事をしていたこともあり、幼少期からスワッチと呼ばれる記事のサンプルを集めた素材見本に触れて遊んでいたそうです。

スワッチとはこのようなものです↓

https://bishu-japan.com/company/detail/58/fabric/154

ものづくりの世界がすでに生活の延長にあったんですね!

自然と感性が磨かれていったのだと思います!

幼少期の何気ない体験が、その後の創造性の原点になっているように感じてなんだかグッときます。

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学歴は?

学生時代は勉強嫌いで、学校ではおしゃべりで有名だったそう。

明治大学法学部出身ということですが、以前の学歴は公表されていないようです。

明治大学法学部卒業以降は、業種の異なる分野であるアパレル業界で経験を積み、

2016年には文化学園大学特任教授に就任するなど、輝かしい経歴をお持ちです。

出身大学について

明治大学法学部出身。

法学部と言えば、法律家や公務員、企業の総合職などを目指す印象が多いです。

ビーズ刺繍作家と言えば、芸術系や美大出身の人が多そうという先入観がありますよね。

法律を学び、ファッション業界を経てたどり着いた❝ビーズ刺繍の世界❞

型にはまらないキャリアだからこそ生まれる、独自の視点が作品に息づいているようです!

❝知❞と❝美❞の融合によって唯一無二の作品を生み出しています。

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経歴は?

  • 明治大学法学部卒業後、アパレルメーカー・レナウンルックに就職。

会社員として働きながら、アパレルの知識を深めるためエスモードジャポンの夜間部に通っていました。

「自分は洋服の仕事を一生やるだろうな」と感じていたそうです。

その後、レナウンルックを退職し専門学校へ。

その後、フランスの高級刺繍ブランドの仕事に就いたそうです。

  • 1989年、「株式会社チリア」設立。インドにアトリエを構え、オートクチュールビーズ刺繍を手掛け始める。

「チリア」は、ヒンディー語で「小鳥」を意味するそうです!

ビーズの世界に入ったきっかけは、オートクチュールのビーズ刺繍を目の当たりにしたことだそうで、

「この刺繍を日本の人たちに紹介したいという思いから、この仕事をスタートしたんです」

と語られています。

「本当に電気が仕込まれていると思うぐらいキラキラ光って、どうやって作るんだろう?とか疑問だらけになって、そこから謎解きのような感じで少しずつビーズ刺繍に触れていくことになった」と語られています。

  • 1996年 刺繍教室「チリアエンブロイダリースタジオ」開講。
  • 2000年 日本橋高島屋での初個展開催。
  • 2005年 「チリアジュエリー」発表。
  • 2007年 「テーブルウェア・フェスティバル」に参加開始。(~現在)

「徹子の部屋コンサート」で黒柳徹子さんの衣装を手掛け始める。

  • 2011年 チリアジュエリーのセカンドブランド「SALONI TJ」発表。
  • 2016年4月 文化学園大学特任教授に就任。

文化学園大学では、服飾学部 ファッションクリエイション学科の特任教授とのことです!

  • 2023年4月 オートクチュールビーズ刺繍作品やアンティークコレクションなどを展示する

「田川啓二美術館」を那須高原に開館。

現在は、全国各地での個展、イブニングドレスだけの贅沢なファッションショー、

刺繍教室、さまざまな企画とのコラボレーションをはじめ、

テレビ、ラジオ、雑誌、YouTubeチャンネル「徹子の気まぐれTV」への出演など、幅広く活躍中。

モモ
モモ

法律を学んだ知性と、ファッション業界で培った審美眼。

その両方を活かして、ビーズ刺繍作家として独自の世界観を築きました!

異業種からの転身だからこそ生まれた、芯のある美しさが魅力となっていますね。

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田川啓二さんの家族構成は?

田川啓二さんのご家族は、父親、母親、兄、田川さんです。

田川さんは2人兄弟の次男で、お兄さんはグラフィックデザイナーの田川雅一さん

父や母についての詳細な情報は公開されていないようです。

田川さんの父は繊維業界で仕事をされていた方のようです。

そんな父の影響もあり、幼少期からスワッチなどの素材見本に触れ、美的感覚が自然に磨かれていったのだと思います。

ちなみに曾祖父、祖父も繊維業界だったとのことなので、代々受け継がれていた可能性があります。

家系的にも、美的センスを必要とするアーティストとしての才能があったのだと思われます。

生まれ持った才能と育った家庭環境が、後に大きく影響してくるのかが分かります!

田川さんがビーズ刺繍をすると父に言った際、

「お前1人ぐらいは俺が働いているうちはいくらでもすねをかじらせてやるから、好きなことをやってみろと言われて始めました」

とコメントされたそうです!

父親の詳しい職業は明かされていませんが、経済的に裕福な家庭であったことがうかがえます。

そんなセリフ、言われてみたいし親としても言えたらどんなにいいかと思います。

安心して好きなことに向かって突き進んでいけるような、とても心強い言葉ですよね!

テレビショッピングや通販番組が好きな妻が注文した荷物の受け取り担当だったり、

そんな妻が使わなくなった化粧品は、もったいないからと使うルールがあったりなど、

夫婦仲も良好で明るい家庭環境だったのだと思われます。

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田川さんが子供の頃、母はフランス刺繍を趣味としてやっていたそうで、

それを見ているうちに自然と刺繍に惹かれるようになったそうです。

母はとてもアクティブな方で、フラダンスやウクレレを習っているそうです。

夫との仲も良好だったそうで、家庭内での母の明るさが家族全体の雰囲気を和ませていたことがうかがえます。

田川さんのブログでは、

「母は、16歳からずーっと同じ気持ちで父を笑わせているんだと思います」

紹介されており、いつも夫婦で笑って幸せそうだと書かれていました。

本当に素敵な夫婦なんですね(^^)

母はテレビショッピングが大好きで、息子である田川啓二さんが「QVC」に出演した際、

とても感動していたそうです!

素敵な親子関係がうかがえ、ほっこりするエピソードですね(^^)

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兄の名前は田川雅一(たがわ まさかず)さん

パッケージデザイン会社「ベネディクト」を設立。

缶コーヒーWONDERやタバコのキャメル、アサヒビールやジップロックなどのデザインを手掛けてきました。

2017年2月に亡くなられ、

業界ではそのデザイン力を高く評価されていた存在だったため、多くの関係者からその死が惜しまれました。

消費者の目を引くデザインセンスに定評があり、業界内では広く知られていたそうです。

兄弟そろってクリエイティブな道に進んでおり、家庭環境の中で芸術やデザインが身近であったことが想像できますね!

兄とお2人で黒柳徹子さん主演の舞台を観に行ったり、

頻繁に兄の事務所に遊びに行ったりなど、兄弟としての仲も良好だったようです。

兄は田川さんと同じく収集癖があったそうで、

ブリキのコレクションケースやアメリカから探してきた自動販売機などが社長室に飾られ、

ポップで可愛らしい内装となっていたのが印象的です。

田川啓二さんは、「兄がいたから、今の自分がある」と語られており、

その言葉からは深い愛情と尊敬がにじみ出ています。

兄弟という枠を超え、創作における仲間としても支え合い、

芸術やデザインに対する感性は共鳴しており、それぞれの道で功績を残しました。

お互いの仕事を尊重しあう関係性は、業界内でも理想的な兄弟関係として語られています。

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まとめ

幼少期から感性を育まれてきた環境と、家庭の影響。

そして明治大学での学びや、華やかな経歴の中でも変わらない❝ものづくり❞への情熱。

田川啓二さんの繊細で品格あるビーズ刺繍の裏には、

確かなルーツと信念がありました。

これからも唯一無二の美を追求し続けるその姿に、ますます注目が集まりそうです。

長年の友人である黒柳徹子さんとの息の合ったやり取りからも、

田川啓二さんの柔らかな人柄やユーモアが垣間見えます。

確かな技術と美意識に加え、そういった人間的な魅力もまた、

田川さんが多くの人に愛される理由の一つなのかもしれません。

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