男子バレー日本代表の小野寺太志選手って、
「身長いくつ?」「どうしてあんなに上手いの?」
そんな疑問を持つ方も多いですよね!
初めてお目にかかるという方も、その背の高さには驚かれると思います。
ネーションズリーグでの日本代表の活躍が話題となっていますが、
その中でも「日本の壁」と呼ばれる小野寺太志選手は大注目の存在です。
この記事では、小野寺太志選手の身長や凄さの理由、バレー一家で育った生い立ちを分かりやすくまとめました!
これを読めば、小野寺太志選手のルーツがグッと身近に感じられるはずです!
小野寺太志選手について

小野寺 太志(おのでら たいし)
生年月日:1996年2月27日
所属:サントリーサンバーズ大阪
ポジション:ミドルブロッカー
背番号:1
出身地:宮城県名取市
出身中学:名取市立第一中学校
出身高校:東北高等学校
出身大学:東海大学
代表歴:2018年に日本代表選出
2022年に結婚
趣味:釣り、カメラ
小学生時代から野球に没頭し、バレーに転向したのは中学3年の夏だということです!
野球部を引退後に父から全国都道府県対抗中学バレーボール大会の宮城県選考会への参加を勧められ、
高身長を活かしてみようと、
「体育の授業でやった程度」だったバレーを始めました。
この時点で身長195㎝ほどたったそうです!
オリンピック有望選手賞を獲得し、将来の五輪候補に挙げられました。
高校入学後はルールの勉強から始めたそうです。
小野寺太志の身長が凄い!
小野寺太志選手の公式身長は、202㎝です!
200㎝超えているなんてスゴイですね!
小学6年生で170㎝、中学3年生で195㎝だったそです!
同じぐらいの身長の男子バレー選手は、佐藤駿一郎選手(205㎝・ウルフドッグス名古屋)、
山内昌大選手(204㎝・大阪ブルテオン)、甲斐優斗選手(200㎝・専修大学4年)がいます。
センター(ミドルブロッカー)としてこの身長の高さは大きな武器で、
相手のスパイクを止めるブロック力、クイック攻撃やブロード攻撃で打点が高く、
ブロッカーを引き付けることで味方の攻撃を有利にする役割も担っています。
身長202㎝の小野寺太志選手は、まさに日本代表の❝壁❞!
「あの高さで止められたら相手はきついよな」
と思わせる頼もしさがありますね!
父も母もバレー選手!生い立ちは?
小野寺太志選手はビッグベイビーとして生まれました。
身長55㎝で体重4000gだったそうです!大きいですね(^^)
「太志」という名前は父が考案、母と二人で決めたそうで、
❝太くてブレない志を持つ❞そんな風に生きて欲しいという想いを込めて付けた名前だそう。
一人っ子として育ち、幼少期は基本的におとなしい子だったそうです。
まず母が水泳を勧めたそうですが、全種目をマスターし、器用さはこの時から際立っていたようです!
小野寺太志選手の父・学さんは、東北高等学校から東海大学に進学したバレー部OB。
さらに母・いく子さんは、日本リーグの富士フィルムで1981年から1989年まで活躍した選手です。
父・母ともに身長180㎝超えのサイドアタッカーだったそうです!
小野寺太志選手は、恵まれた体格と才能を両親から受け継いだんですね!
小野寺選手が中学3年生頃までは、両親はバレーボールを強く勧めなかったそうです。
好きな野球を続けてくればいい。そう思っていたそうです。
地元の名取市は野球が盛んな地域で、
小野寺選手は小学3年生から野球を始め、中学3年生の夏まで野球に打ち込んでいました。
中学卒業を前に、父・学さんの勧めで全国都道府県対抗中学バレーボール大会の
宮城選考会に参加し、バレーボールを始めました。
選考会を通過し、本戦に出場。
バレーボール転向後すぐに才能を開花!
東北高校では1年生から全日本バレーボール高等学校選手権大会に出場。
東北高等学校は、父の母校でもあり、バレーボール日本一を目指すほどの強豪校!
その後、アジアユース選手権や世界ユース選手権でも活躍。
東海大学に進学後も、日本代表の強化指定選手として活躍し、
2015年には日本代表に初招集されました。
2018年、JTサンダース広島に入団し、Vリーグで活躍。
日本代表としても、2021年の東京オリンピックに出場するなど、
日本バレーボールの中心選手として活躍しています。
両親の影響を受けてバレーを続け、今や日本代表の中心選手に。
そんなストーリーを知ると、これからの試合もつい熱く応援しちゃいますよね。
まとめ
小野寺太志選手は、202㎝の身長を活かしたブロックやクイックが魅力のミドルブロッカー。
バレー一家で育った背景を知ると、試合観戦がもっと面白くなりますよね!
これからも日本代表を支える小野寺太志選手の活躍を、
一緒に応援しましょう!
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