長崎での原爆で両親と弟たちを失い、自らも被爆した森田富美子さん。
戦後も胸の奥にしまってきた体験を、5年前の91歳の時から旧ツイッター(X)で発信し続けました。
戦争の記憶が遠のきつつある今も、平和の大切さを語り継ぐ活動を続けています。
2025年8月には娘の京子さんと共に「徹子の部屋」に出演し、
その想いや体験を語った森田富美子さんは、
自身の想いと生き様を綴った著書(本)も出版。
そこには、未来へ託す平和への願いが込められています。
まずは、森田富美子さんがどのような人生を歩んできたのか、その歩みをたどってみましょう。
森田富美子さんのプロフィールと被爆体験

森田 富美子(もりた ふみこ)
1929年生まれ(96歳)
出身地:長崎県
森田京子(きょうこ)さんは富美子さんの娘で4人きょうだいの二番目。
ヘアメイクの仕事と共に書き手としても活動中。
富美子さんと京子さんの親子関係は、踏み込みすぎず、でも支え合うというようなほどよい距離感のようです。
2007年の78歳の時、富美子さんは東京に住む京子さんのもとへ❝家出❞を果たしました。
「これからの人生でそれが一番いい道じゃないかと思ったから」だそうです。
今ではタブレットやスマホを使いこなし、京子さんからは「スマホ依存症」と言われるほど
アプリですべてを管理しているそうです!
長崎で迎えた被爆の日
森田富美子さんは1945年8月9日の16歳の時、
長崎に投下された原子爆弾によって、両親と3人の弟を失いました。
いつものように学徒動員先の川南工業焼島造船所へ向かい、工場での作業が始まった午前11時2分のことでした。
出かける際に見送ってくれた母の姿が、母の生きている最後の姿だったそうです。
家族を失った悲しみと当時の状況
富美子さんは両親と弟たちの焼け焦げた亡きがらを一人で弔い、
煤(すす)と血で真っ黒になった両手を見つめ、
「私に残されたのは、これだけ」と煤と血糊を腕に刷り込みました。
家族を自分の体の中に入れて残したかったのだそうです。
涙は一滴も出ず、忘れることのできない光景でした。
twitter(X)での発信を始めたきっかけは?
きっかけは、2020年8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典でした。
元安倍晋三首相の挨拶が
3日前の広島の式典と酷似していたことがSNSで騒がれ、
被爆者の思いが軽視されているようで悲しい気持ちになったという富美子さん。
翌日の8月10日、自らの記憶を立て続けにツイッター(X)でツイートしました。
75年間封印してきた記憶を文字にしたのです。
長い間記憶にフタをして考えないようにしてきても
あの日の恐怖、苦痛を、そして深い悲しみを体は憶えていて、
毎年8月9日が近づくと、原因不明の体調不良を引き起こしていたそうです。
91歳でSNSに挑戦
家族を失った出来事について長い間語らずに過ごしてきた富美子さん。
「その時の状況はあまり人に話したくない。戦争のことは考えないようにしていた」とのことです。
2020年8月10日から、
「91歳になるまで声を上げなかった自分が情けない」と、
自分の心だけにしまってきた長崎での出来事を
「わたくし91歳」というアカウント名でtwitterにツイートするようになりました。
若い世代へ向けたメッセージ
アカウント名は年齢を重ねるごとに変化し、現在は「わたくし96歳」として
毎日、自らの被爆体験や政治のこと、日々の出来事について
楽しいことも、怒りも、ときに厳しく、でもユニークに富美子さん自身が投稿されています。
現在フォロワー数は88000人を超えており、
Xでのフォロワーさんとのやり取りが元気の源と語られています。
富美子さんはX(旧twitter)を通じて、戦争の悲惨さや平和の大切さを伝えるだけでなく、
日常の何気ない出来事や思いを綴っています。
絵文字を使ったり、柔らかい言葉遣いで発信するそのスタイルは、
若い世代にも親しみやすく、心にすっと届く温かさがあります。
若い世代からのコメントも多く寄せられており、
富美子さんは一つ一つに丁寧に返信しています。
こうした温かいやり取りや可愛らしさ、真摯なメッセージが、多くのフォロワーの共感を呼んでいるんですね(^^)
毎日のXでの発信では、「#戦争反対」「#核兵器禁止」と入れることも忘れません。
戦争のことを語らずにいた75年間を反省し、これを訴え「繰り返さないで」と願いを込めています。
SNSでの反響は?
現在8万人を超えるフォロワーが富美子さんの日々の投稿を楽しみにされています。
富美子さんの投稿もリツイートされ、多くの人に富美子さんの想いが広まっているようです。
コメントの中には、「こんな話を聞けるとは思わなかった」「戦争の実態をリアルに知る機会をもらえて感謝している」
などのコメントも多くあります。
また平和のメッセージだけでなく、日常のほっこりする投稿にも共感が集まっています。
このような日常を投稿する中でも、富美子さんの体調を気遣うフォロワーさんのコメントもあったりなどの温かさに溢れるやりとりが多いことも、
富美子さんの人柄ならではなのではないでしょうか(^^)
堅苦しくなく、誰にでも話しかけるような親しみやすさが伝わりますね。
本の出版に込めた想いは?
「わたくし96歳が語る 16歳の夏~1945年8月9日~」
の出版については、
「どうしても私が経験してきた戦争のこと、Xに綴った思いなど全部を本にしたい」
という話を京子さんとされていたそうです。
16歳といえば、一番楽しい時期。
今の高校生、中学生、大学生などの若い人たちに読んでもらいたいという気持ちがあったとのことです。
この本が海外でも翻訳されて読まれること、
他の国で戦争をしている地域の人にも読んで欲しいとの願いがあるとお話されています。
今は笑いながら毎日を過ごされていますが、
そういう毎日を過ごせるような世の中になってもらいたいという願いが、
読者へのメッセージだということです。
平和への願いとこれからの活動
富美子さんは、被爆という過酷な経験を通じて
「二度と戦争を起こしてはいけない」という強い思いを抱いています。
その願いを多くの人に届けるために、X(ツイッター)で体験談を発信したり、
若い世代との交流を大切にしています。
また、著書(本)を通して、富美子さん自身の生き様や平和への想いを広く伝える活動も行っています。
これからも講演や執筆、SNSでの発信を続け、
未来を担う若い世代に、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝え続けたいと考えています。
まとめ
96歳の森田富美子さんは、
長崎の原爆で家族を失った経験を胸に抱きながらも、決して語ることをやめません。
X(twitter)や本を通して、戦争の悲惨さや平和の大切さを、
若い世代にも分かりやすく届けています。
日常のちょっとした投稿や丁寧な返信からも、人柄の温かさが伝わってきます。
富美子さんの声に耳を傾けることで、
私たちも平和の大切さを改めて考え、次の世代へつなげていけます。
あなたも、富美子さんの想いを受け取り、誰かに伝えてみませんか?
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