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千住博の家族は芸術一家!3兄弟(兄妹)やwikiプロフィール生い立ちは?

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プラチナファミリー】に、世界的日本画家の千住博さん・大ヒットドラマの作曲も手掛ける作曲家の千住明さん・世界的バイオリニストの千住真理子さんが出演します!

天才芸術家・千住3兄妹はそれぞれ異なる分野で超一流として活躍し、

そこには千住家に伝わる偉大な父と母の教えがあると言います。

画家、作曲家、音楽家としてそれぞれの道を選んだ背景や、

兄妹それぞれが第一線で活躍する理由や、互いに与えた影響、千住家の教育方針など、

家族ならではの秘話、注目が集まりますね!

この記事では、千住博さんのwiki風プロフィール生い立ち3兄妹のプロフィールなどを徹底解説します!

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千住博氏のwikiプロフィールと生い立ち

https://www.kyoto-art.ac.jp/info/teacher/detail/0721251

wikiプロフィールについて

千住 博(せんじゅ ひろし)

日本画家

生年月日:1958年1月7日

3人兄妹の長男(弟・千住明、妹・千住真理子)

出身地:東京都杉並区

慶應義塾高等学校

東京芸術大学美術学部

東京芸術大学大学院

東京芸術大学大学院

工学博士の千住鎮雄さんと、エッセイストの千住文子さんの長男として生まれました。

当時、父が学位論文を書き終えた時だったので、博士の博を取って「博」と名付けられたそうです。

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生い立ちは?

幼少期~

3、4歳の頃から家中の壁や襖をキャンバスにして絵を描いていました。

幼稚園の頃はピアノを習い、小学校受験勉強として塾で絵の勉強もしていたそうです!

そして慶應義塾幼稚舎に入学。

慶應義塾幼稚舎とは、慶應義塾大学の附属の小学校。幼稚舎という名前ですが、幼稚園ではなく小学校です。1874年創立。伝統ある私立小学校の代表格となります!自由な校風の中で子供の個性を伸ばす教育を実践している名門一貫校。

千住博さんは慶應義塾幼稚舎で学び、自由な校風の中で芸術への感性を育んだとも言われています!

幼稚舎は芸術・スポーツ・行事も多彩なようなので、

文化や芸術など幅広い教養を重視する家庭が、自由な教育環境を求めて幼稚舎を選ぶケースも多いようです。

この時点で、父・母の教育方針がしっかり定まっているように思えますね!

ハリ
ハリ
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学生時代~

慶應義塾普通部(中学校)に進学。この当時は絵は好きだったそうですが、画家になるつもりはなく、

慶應義塾高等学校に進学しても変わらない気持ちだったそう。

しかし、慶應義塾高等学校時代のある日、所属していた美術部の先輩が持っていたデザイン雑誌を目にし、

日本発のグラフィックデザインに衝撃を受けます。

美術系の大学へ進学することを決意し、高校2年生の時には日本画専攻の予備校に通い始めました。

2年の浪人生活を経て、1978年に東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻に入学。

その後、東京芸術大学大学院へ進み、東京芸術大学大学院博士課程へ進みます。

伝統的な日本画を学びつつ、滝をモチーフにした現代的表現で国際的に評価され、

1995年ヴェネツィア・ビエンナーレでは名誉賞を受賞。

2000年以降も国内外で数々の個展を開催。

近年も大規模個展を精力的に開催し、現代日本画を国際的に発信し続けています。

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芸術一家を形成する3兄弟(兄妹)の紹介

千住家の長男である千住博さんには、弟・千住明さん、妹・千住真理子さんがおり、

このお2人もそれぞれ作曲家・バイオリニストとして活躍されています。

お2人について詳しくまとめました!

次男 千住明さん

https://ototoy.jp/_/default/a/92831

千住 明(せんじゅ あきら)

作曲家

生年月日:1960年10月21日

慶應義塾幼稚舎

慶應義塾普通部

慶應義塾高等学校

慶應義塾大学工学部

東京芸術大学音楽学部作曲家

東京芸術大学大学院音楽研究科修士課程修了

慶應義塾高等学校在学中はバンド活動をしていました。

父親と同じ道を進むため、慶應義塾大学工学部に進学。

しかし本格的に音楽の道を進むことを決め大学を中退し、東京芸術大学音楽学部作曲家に入学。

中森明菜さんのカバーアルバム「歌姫」シリーズをすべて手掛け、累計100万枚の売り上げを記録させました!

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長女 千住真理子さん

https://www.japanarts.co.jp/artist/marikosenju/

千住 真理子(せんじゅ まりこ)

バイオリニスト

生年月日:1962年4月3日

慶應義塾幼稚舎

慶應義塾中等部

慶應義塾女子高等学校

慶應義塾大学文学部哲学科美学美術史学専攻

2歳頃からバイオリンを習っていたそうです。

12歳でプロデビューし、1977年の15歳の時には日本音楽コンクールを最年少で優勝。

バイオリンの練習を繰り返していく中で天才少女と呼ばれてきたという賞賛の陰では、

嫉妬やいじめなどを受けたり学業との両立に悩んだりもしたそうです。

20歳の時にバイオリンから離れ、2年間のブランクを経て、またプロの道を志しました。

2度結婚され、離婚し現在は独身とのことです。

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芸術一家を育んだ背景・教育方針

長男・千住博さん、次男・千住明さん、長女・千住真理子さんの学歴・経歴を見ると、

それぞれが分野トップクラスの名門校を卒業していることが分かります!

慶應義塾幼稚舎という自由教育の中では自主性を育み、分野別の専門教育を徹底されていたんですね!

幼少期から、芸術を仕事にするという方向で育てられてきたことが分かります。

そして第一線で活躍している点も共通して凄いことですね!

そんな芸術一家の背景や、父・母の教育方針はどんなものだったのでしょうか?

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父 千住鎮雄さん

(せんじゅ しずお)さん。

日本の経営工学者。計甥義塾大学名誉教授、工学博士。

2000年9月に他界されています。

鎮雄さんの教育哲学が素晴らしく、特に「近い道を探すな、遠い道を苦労して行けよ」というもので、

まさしくそれを貫いたことが、3兄妹の生い立ちを見ると分かります。

3兄妹が幼い頃から、「どんなことでも集中することが大切。集中していることは邪魔せず、とことんやらせよう」という人でした。

長男の博さんは実力と才能だけで勝負する芸大受験を選ばれ、2年の浪人を経て芸大合格を勝ち取ることとなりました。

次男の明さんが芸大受験を選び、落ちた際にも

実力不足で早く合格してしまうよりは、ずっと立派だ」とおっしゃったそうです。

元々は何代にもわたって続く医師の家系であり、芸術家は身近におらず、普通に過ごしていれば入試とは無縁で大学に進学できる環境にありましたが、

子供の進路は本人の意思を尊重されたという、

子どもの人生は子どものものであるという哲学を貫いてきました。

子どものためを思うからこそレールを敷くけれど、それに固執しないという、

深い信頼と愛情を感じますね!

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母 千住文子さん

(せんじゅ ふみこ)さん。

父は角倉邦彦、祖父は角倉賀道。

明治製菓株式会社研究所薬品研究室の研究員として、

抗生物質開発の研究に従事し、退職後に千住鎮雄さんと結婚。

文子さんは鎮雄さんを心から尊敬しており、鎮雄さんの意見には従順だったそうです。

鎮雄さんの教育哲学に対し、近くて良い道があるのではないかと動揺されたそうですが、

鎮雄さんの「成功は、努力と才能の掛け算なんだよ。どちらか片方がゼロでも答えはゼロなんだ

という信念の下、見守り続けたそうです。

天才少女と言われたがゆえに苦しむ真理子さんを心身両面で支え続けてこられ、

性格は凄く心配性で愛情深い方なんだそうです。

子どもの才能を見極め、とことん伸ばしてくれたので、導き方がとても上手だと真理子さんが語られていました。

2000年の鎮雄さんの他界後、教育問題に関する講演会や執筆活動、テレビ・ラジオに出演など多岐にわたり活躍され、

2013年に他界されました。

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まとめ

世界的日本画家の千住博さんについての生い立ち、

大ヒットドラマの作曲も手掛ける作曲家の千住明さん・世界的バイオリニストの千住真理子さんについてご紹介しました。

天才芸術家・千住3兄妹はそれぞれ異なる分野で超一流として活躍しています。

千住博さんをはじめ、兄妹それぞれが芸術の第一線で活躍する背景には、

幼い頃からの豊かな芸術環境と、子どもの個性を尊重する家庭の教育方針がありました。

それぞれが選んだ専門の道が今の活躍に繋がっているなんて本当に素敵ですね!

こういった家庭の物語を知ると、芸術を育む環境や教育の大切さを改めて感じます。

これからも千住家それぞれの活躍から目が離せませんね!

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