❝極悪レスラーなのに実は超いい人だった❞という紹介で、「激レアさんを連れてきた。」に出演される、
プロレスラーの天山広吉(てんざんひろよし)さん。
最も無理して極悪レスラーをやっていた人。と言う激レアさんということで、プライベートとのギャップが強いのかな?と気になりますね。
強面の方ほど中身は穏やかで優しいということも多いですが、プライベートな天山広吉さんはどんな人なのでしょうか?
かなりの長身で、体格も良く長年変わらないヘアスタイルで凄くインパクトがありますよね。
1991年にデビューということなのでキャリアも長く、多彩な活躍を続けられている天山広吉さんの、現在までの活躍や経歴、生い立ちや家族構成、性格や人柄などについて
本記事ではご紹介していきたいと思います。
天山広吉さんのプロフィールは?

天山 広吉(てんざん ひろよし)
本名:山本 広吉
生年月日:1971年3月23日
血液型:O型
出身地:京都府京都市
身長:183㎝
体重:115㎏
デビュー:1991年1月11日
得意技:アナコンダバイス、モンゴリアンチョップ、アナコンダマックス、TTD、ダイビングヘッドバッド
天山選手のファイトスタイルは、パワフルでタフネスに溢れており、得意技の内の1つである
「モンゴリアンチョップ」は天山さんの代名詞とも言える技です。
天山広吉さんの生い立ちは?
幼い頃は身体が弱くかった天山選手は、体格が大きく身体が健康な人に憧れ、
プロレスへの夢を抱くようになったそうです。
16歳ごろからプロレス中継を見にいくこともあり、映像として映っていたことがあったそう。
京都市立北野中学校を卒業し、京都府立山城高等学校を卒業。
中学生時代はバスケットボールとボディビルに打ち込み、体力と筋力を鍛え上げました。
京都府立山城高等学校は進学校ということなので、素行が悪かったということはないかと思われます。
中学時代でのこういった経験が、後のプロレスラーとしての基礎を築くことになったんですね。
幼い頃に身体が弱かったというところは、現在では想像つきませんね。
基礎体力づくりで、ここまで体格や体質を変えることができたなんて驚きです。
天山広吉さんの性格は?
家族想いで誠実
天山選手は家族をとても大事にされていて、試合後のマスコミ取材中に、
「子供を風呂に入れる約束をしているので早く帰らないと嫁に怒られる」と話し、周囲を和ませたというエピソードがあります。
試合後にはあまり飲み歩かず、家族との時間を優先するなど、家庭を大切にする姿勢がうかがえます。
後輩想いで面倒見が良い
後輩レスラーからの信頼も厚く、海野翔太選手が困難に直面した際には、
全面的なサポートを約束するなどの面倒見の良さがうかがえます。
純粋で天然なキャラクター
サンダー・ライガー選手のYouTubeチャンネルに出演した際には天然な一面を見せ、
視聴者からは純粋な人だと評されたりなど、その飾らない人柄が多くの人から親しまれています。
プレッシャーに強い努力家
1995年に長州力さんから、「今年みんなの給料が上がるかどうかはこの天山にかかっている」と
発破をかけられた際には、そのプレッシャーを受け止め、自らの道を切り拓いていきました。
期待に応えるべく努力を惜しまない姿勢も魅力となりました。
やはり、見た目の強面さとは裏腹に、実際は優しく熱い性格であることが魅力であり、
多くのファンの心を掴んでいるんですね。
リング上ではヒール(悪役)として活躍されていた時期もありますが、その内面や人柄は多くのファンに愛されていることが分かります。
天山広吉さんの経歴や戦歴は?
1990年に新日本プロレスに入門。
1991年1月11日、松田納(現:エル・サムライ)戦で本名の山本広吉としてデビュー。
1993年 若手選手による「ヤングライオン杯」で優勝。海外武者修行としてヨーロッパのCWAに参戦し、「ヒロ・ヤマモト」のリングネームで活躍し、CWA世界ジュニアヘビー級王座を2度獲得。
1995年 帰国後、リングネームを「天山広吉」に改め、蝶野正洋選手やヒロ斎藤選手と共に「狼軍団」を結成。
1999年1月 小島聡とのテンコジタッグで第36代IWGPタッグ王者に輝く。以後6度載冠。二人の連携はファンから高い評価を受ける。
2001年12月 「G1 TAG LEAGUE」で小島聡とのコンビで優勝。
2003年 「G1クライマックス」で初優勝。IWGPヘビー級王座を初載冠。2004年、2006年も優勝。2004年には連覇を達成。
2004年2月 「IWGPヘビー級王座決定トーナメント」を制し第35代王座に就く。
2004年12月 佐々木健介選手を破り、IWGPヘビー級王座を防衛。この試合は天山選手のキャリアの中でも特に重要な一戦となる。
2008年12月 右目の上半分が見えなくなるという異常を訴え、網膜剥離と診断をされ欠場を余儀なくされる。
2009年5月 レスリングどんたく2009で復帰戦を行う。8月に古傷が悪化し、無期限の欠場を発表。
2010年11月 復帰戦を行う。
2014年 小島聡選手との「テンコジ」でタッグマッチを中心に活躍。
2015年 G1 CLIMAX 25に出場し、内藤哲也選手との遺恨決着戦では「アナコンダマックス」で勝利を収める。
2017年~2019年 シングルマッチの出場は減少し、主にタッグマッチでの活躍が中心となる。
2020年 新型コロナウイルスの影響で、大会の中止や延期が相次ぎ、活動が制限される。
2021年2月 「CASTLE ATTACK」にて、封印していた「モンゴリアンチョップ」を解禁し、話題となる。
2022年~2024年 若手選手の育成やタッグマッチでの活躍を通じて、ベテランとしてプロレス界に貢献し続けている。
天山広吉さんの家族構成は?
天山広吉さんはご結婚されており、嫁と息子がいらっしゃるそうです。
嫁(妻)の名前は、理恵さんという方だそうです。
一般人であるので表立って出てくることはありませんが、北斗晶さんのような恐妻だと言われています。
かかあ天下とも言われておりますが、天山選手は妻をとても大事にされていることが伝わるツイートも微笑ましいです。
可愛らしいツイートですね。ギャップが素敵です(^^)
そして息子さんは、雄大さんという名前だということです。
過去に、重要な試合の後にマスコミから囲み取材を受けていた際やけに慌てていたそうで、
その理由は子供を風呂に入れる時間に遅れそうだからだということでした。
約束の時間に遅れると奥さんに怒られる、と急いで帰っていたそうですが、
息子さんへの愛情も感じますし奥様への恐怖心(?)ではなく奥様を大事にされているということが伝わるエピソードですね。
天山選手の投稿される内容も、可愛らしく温かい人柄が伝わるものとなっていて微笑ましいです。
恐妻妻の理恵さんは、息子さんに対してもスパルタなんですね(^^)
嫁と天山選手とのちょうどよいバランス感も良いのかもしれませんね。
天山選手はプライベートを大切にされているため、家族に関する詳細は控えられているようです。
まとめ
「猛牛」とも呼ばれ、リング上ではパワーファイターとして知られ、多くの戦闘を繰り広げてこられた
天山広吉選手についてご紹介しました。
相手を真正面からぶつかってねじ伏せるスタイルが持ち味で、代表技の「モンゴリアンチョップ」は有名ですね。
パワー×タフネス×諦めない心 が天山選手の強さを構成していますね。
リングを離れると、実は凄く優しく天然な性格だというところも魅力です。
「見た目は怖いけど中身は本当に優しい人」と親しまれていることが分かりますね。
そんな素敵なギャップをお持ちの天山選手、今後の活躍にも期待したいですね。
コメント