城田優さんは、俳優、タレント、歌手、シンガーソングライターなどの多くの肩書きをお持ちの男性です。
190㎝という長身と、ハーフということなので顔立ちがハッキリしていて華のある方です。
存在感が凄い方ですよね。
父親は日本人で放送作家の城田光男さん、母親はスペイン人でタレント活動をされていたペピー・フェルナンデスさん。
母親のペピー・フェルナンデスさんは、息子である城田優さんとたびたび一緒にテレビ出演をされております。
城田優さん曰く、「お母さんは凄いパワフルで破天荒です」とのことです。
そのようなことを笑って語られていたということですが、どういったお母さまなのでしょうか?
壮絶な人生を歩んでこられたともお聞きしますが、そのことについても気になります。
今回の記事では、城田優さんの母親について、お店経営やタレント活動をされていたことについて
などを含め、どんな人なのかをまとめてみたいと思います。
城田優の母親・ペピー・フェルナンデスさん
綺麗な方ですね!これだけ見たら、破天荒だなんて想像がつきません。
城田優の母親はどんな人?壮絶な生い立ちとは?
幼少期~1回目の結婚
ペピー・フェルナンデスさんは、1955年12月2日にスペイン・エストレマドゥーラ州アルコンチェルという方田舎で生まれました。
しかし、ペピーさんが生後8か月の時に実母が井戸へ身投げしてしまい亡くなってしまいます。
そしてペピーさんは祖母に育てられることとなりました。
まだ1歳にも満たない時点だというのに壮絶ですね・・
この祖母が、ペピーさんが言うことを聞かないと縫い針を両手10本に刺したりなどしたそう。
父親が再婚し、その時の継母はペピーさんが可愛がっていたウサギを勝手にシチューに入れたりなど、
祖母、継母も肉体的・精神的なDVを繰り返してきたそうです。
このことについては、ペピーさんの著書・『ペピーは母でよかった 生きなおす女の「ど根性」半世紀』に記されています。
実母の身投げの後に追い打ちをかけるように祖母や継母のDVだなんて、そんなことを幼い頃から経験していたら、心が壊れてもおかしくありませんよね。
ペピーさんは、働くようになってからは祖母から給料を取られていたとも語られています。
身寄りがないので、ペピーさんはとにかく耐えて耐えて耐えまくっていたそうです。
一回目の結婚
そんな祖母がら逃げるように、ペピーさんは結婚と同時に故郷を離れることとなりました。
1976年の19歳の時に来日し、日本人男性と結婚しました。スペインで出会った男性だそうです。
この時の舅(しゅうと)からは、青い目の嫁を良く思わないという理由で手切れ金を渡されたそうです。
それでも結婚し、この男性との間に長男・長女を授かりました。
7年後に離婚することとなりましたが、日本で生活する中で芸能活動をするようになりました。
2回目の結婚
1984年に日本人男性と2回目の結婚をします。この方が、放送作家の城田光男さんです。
芸能活動する中で出会ったようです。
次男・純さんが生まれ、三男として城田優さんが生まれました。
城田優さんがペピーさんのお腹にいた時は、帝王切開での次男出産から2か月のことでした。
医師から出産は無謀だと言われたそうですが、「私が亡くなってでもこの子は産む」と決め、
命がけで自然分娩をしたそう。
1989年には一家6人でスペイン・バルセロナに移住しました。
1994年に再度来日し、この後に城田光男さんと離婚されました。
3回目の結婚
1999年の43歳の時、12歳年下の日本人男性と4回目の結婚をされています。
この時、次女となる吉村リナ(LINA)さんが生まれます。
3回の結婚を経て、ペピーさんには5人の子供がいらっしゃるということになりますね。
その後、こちらの夫とも離婚されたようです。
城田優さんを含めた5人きょうだいはとても仲が良いそうで、SNSでも仲の良い様子を投稿されています。
複雑な家庭環境だと思われるが、毎日のようにメッセージを送りあうほどの仲の良さなんだそうです。
ペピーさんは3回の結婚を経験されておりますが、3回とも自分からアプローチしたとのことです。
「動物はプロポーズしないで子ども作るじゃん」などとコメントされていたこともあり、
これが破天荒なのかと妙に納得もしてしまう気がします。
長男の大さんと長男のマリアさんに対して、「いっぱいお父さんがいてもうけた感じがする」などの発言もあり、こういったあっけらかんとした姿が、きょうだい仲良くいられる秘訣なのかとも感じます。
ペピーさんのお誕生日を子供全員でお祝いするなど、ご家族いつまでも仲の良い様子が素敵です。
それにしても美形一家ですね(^^)

その後47歳の時に聴神経腫瘍で10時間もの手術を経験し、右耳の聴力を失いました。
それに更年期が重なってしまったことで、一時期はうつ状態にまでなったそうです。
54歳では86.9㎏に激太り、その後7か月で32㎏のダイエットに成功。
ペピーさんの子育ては、「学校の成績のことでは起こらないが、ご飯を残すと怒る」、
「パパやママではなく個人名で呼ぶ」などだったとのことです。
個人名で呼び合うとさらに親近感が湧く気がするので、こういったことも家族仲良くいられることの秘訣なのではないかと思います。
城田優さんはインタビューなどで、❝尊敬する人は母❞と答えるほどだそうですよ。
命がけで産んでくれた母の大きな愛や、離婚を繰り返しても子供たちには愛情を注ぎ続けてこられたからこそでしょうね。
ご自分が幼い時には壮絶な経験をしてきたにもかかわらず、そういった苦労を見せずに母親として立派に5人を育て上げたペピーさんの人間性が素敵です。
城田優の母親はタレント活動をしていた?
1976年に初来日し、「ルックルックこんにちは」にゲスト出演したことがきっかけで、
ユニークなキャラクターとキレの良いトークがプロデューサ―の目に留まり、
その後レギュラー出演を果たし、外国人レポーターとして人気を集めていきました。
1989年にスペイン・バルセロナへ移住した際は、バルセロナ五輪の頃は通訳やコーディネーター、
名物ガイドとして活躍されていました。
1994年に再来日し、「ここがヘンだよ日本人」に出演し、「ラジオ日本」ではパーソナリティーを務め、悩み相談を受けながら多くのリスナーに勇気を与えてきました。
エンターテイメント歴は長いとのことですが、ペピーさんの壮絶な人生ながらもそれに負けない明るい人柄ゆえだということが分かります。
長男の城田純さんはモデルや俳優活動をされていて、次女の吉村リナさんは音楽活動をされているということなので、ペピーさんの立派な血筋を受け継いでおられることも分かります。
城田優の母親はお店経営をしていた?
ペピー・フェルナンデスさんは、スペイン小皿料理(タパス)中心のお店、「バモスぺピ」を経営されていました。
長女のマリアさん、次女のリナさんがお手伝いされることもあったそうです。
錦糸町にあったそうですが、現在は閉店されているとのこと。
バモス(Vamos)はスペイン語で「さあ行こう」「頑張れ」「いいぞ」といった意味だそう。
前向きな意味が込められており、「ぺピ」はお母さまの名前かと思われます。
開店後はテレビで紹介され話題になっていたそうです。
家族連れでも入りやすいカジュアルな雰囲気だったそうですよ。
外観はこのような感じでした。

店内には、城田優さんの写真やグッズなどが飾られており、城田優さんのファンなども訪れていたそうです。
ペピーさんの優さんへの愛が感じられますね(^^)
アラカルトメニューが豊富で、コースメニューもあったそうです。
パエリアをオーダーすると20分ほどかかってしまうので躊躇してしまう方もいたようですが、
パエリアって時間がかかってしまうものなんですね。
筆者は大好きなスペイン料理屋さんに行った時、初めにビールとアンチョビポテトやアヒージョ、飲み物をワインにかえ嗜んでいるうちに、
オーダーしたパエリアがちょうどよく登場したがお腹いっぱいなんてことがよくありました。
頂きましたけど。(笑)
きっと「バモスぺピ」でも、ペピーさんは名物ママとして人気が高かったのでしょうね。
閉店してしまったことが残念です。
また、荻窪で「セレクトショップLINA」も経営されていたそうです。
「LINA」さんと言えば、ペピーさんの次女の名前ですよね。
海外の商品を取り扱っており、個性的な可愛い商品がたくさん並ぶお店であったそうですが、
こちらのお店も残念ながら閉店してしまったようです。
スペイン料理店、セレクトショップの経営などもされていて、以前はタレント活動をされていたペピーさん、
凄くバイタリティのある女性なんですね!
まとめ
城田優さんの母親ペピー・フェルナンデスさんについてご紹介しました。
幼い頃から壮絶な人生を歩み、3回の結婚と離婚をされ、5人の子供を育て上げてきた、
たくましく破天荒なお母さまだということが分かりました。
芸能活動も経験がありエンターテイメント歴は長く、
スペイン料理店やセレクトショップも経営されてたという強いバイタリティをお持ちの女性です。
城田優さんはじめ子供たちからも愛されていて、尊敬される母として仲睦まじい様子もSNSで垣間見ることができます。
5人きょうだいの仲の良さは、これまでのペピーさんの注いでこられた愛情があったからこそだと思います。
いつまでも仲の良い様子を見せてもらいたいですね。
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