れいわ新選組代表の山本太郎さん。
率直さと行動力を持ち、分かりやすい言葉で政策を語るスタイルが多くの支持を集めていますね。
政治家になる以前から政治的発言も目立っていた山本太郎さんですが、
芸能活動をされていた時があったということをご存じでしょうか?
筆者が小学生ぐらいの時に、バラエティでもよくお見かけしました。
現在の政治家としての活動とはもちろんギャップがありますが、
当時は凄く面白かったという記憶があります。
当時から、人を引き付ける魅力はあったのだと感じます。
今回の記事では、山本太郎氏の昔の画像と共に、タレント・俳優としての活動を振り返っていきたいと思います。
山本太郎のタレント・俳優時代の画像は?
ミナミの帝王(2000年)
この時の山本太郎さんが好きという声がかなり多かったです!
竹内力さんの舎弟役は味わい深いものがあったそうです。
バトル・ロワイヤル(2000年)
こちらも、役柄が相まってかっこよかったという声が多数です。
MOON CHILD(2003年)
役者さんとしての山本太郎さんが好きという声が多かった出演作です。
釣りバカ日誌(2008年)
常盤貴子さんと結婚される役として出演されていました。
西田敏行さんとも共演されていたんですね。
ジェネラル・ルージュの凱旋(2009年)
個人的に好きなドラマでした!キャスト陣も豪華です。
カイジ 人生逆転ゲーム(2009年)
こちらも、演技が凄く上手だという声が多い作品です。
詐欺師の役として出演です。
アイシテル(2009年~)
氷壁(2006年)
EDEN(2012年)
新宿のショーパブで働くゲイの店長役として出演です。
俳優時代は幅広い役柄で演技をされていたんですね!
そして、何年たってもお顔が変わらない気がします。
かっこいいとの声も多くありますね。
芸能界に入ったきっかけは、1990年の山本太郎さんが高校1年生の時に、
「天才・たけしの元気が出るテレビ」(日本テレビ)の「高校生制服対抗ダンス甲子園」に
3人組「アジャコング&戸塚ヨットクルーズ」のリーダーとして出場し注目を集めたことだったそうです。
筆者が小学生時代に見ていたのはこの番組かと思われます。(笑)
今の凛々しい姿からは想像できませんよね。
面白さがある上に、演技もどんな役でもこなせるマルチな方ですので、
俳優業を辞めるということはもったいないという声も多かったそうです。
タレント・俳優活動の後は?
2011年に所属事務所を退社しフリーランスになり、その後芸能界を引退することになります。
退社・引退した理由としては、
原発反対運動に力を入れるためとされています。
福島第一原発で起こった原発事故の後、脱原発のデモに参加するなど原発反対運動を続けてこられました。
福島の子供たちを被爆から守りたいという信念を持ち、反原発運動の中心人物の1人として活動されてきました。
信念と行動力が素晴らしい方ですね。
メロリンキューとは?
まさしく、筆者が当時観ていた「メロリンキュー」(メロリンQ)。
こちらのフレーズは、山本太郎さんが小学生時代にホームステイ先のフィリピンで食べた
「バナナキュー」というデザートが由来なんだそうです。
ストロベリーキューからメロンキューになり、語呂が悪いため「メロリンキュー」へと変化したと語られています。
「高校生制服対抗ダンス甲子園」の際にも胸に書かれていました。
この水泳スタイルで、奇妙なダンスを踊るというパフォーマンスでした。
この当時は、よく分からないけどなんか面白い!というものが多くありましたので、
こういったパフォーマンスも万人受けしていたという印象です。
現在の政治活動では「メロリンキュー」の芸を行ってはいませんが、封印しているわけでもないそうです。
2022年には錦糸町駅前で街頭演説の際に「メロリンキュー」の芸を披露したとのことです。
現在になっても披露してくれるなんて嬉しいですね(^^)
しかも、当時のスタイルでしっかりキメて下さっています。
サービス精神まで旺盛ですね。
まとめ
現在は政治家として活動中である、山本太郎さんの俳優時代・タレント時代についてまとめました。
2024年10月27日、体調不良とのことですが心配ですね。
超過密スケジュールを駆け抜けておられたので、身体を十分に休めてもらいたいですね。
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